シェルパ文化    

 

シェルパ文化
このページでは私たちの友人のシェルパから送られてきた
小冊子を翻訳して、シェルパ文化について、ご紹介いたします。
下手な翻訳で判りづらく読みづらい文章となっていますがどうぞお許しください。

読みやすい縦書きも用意しました。(PDFファイル)

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シェルパ カルチュア

ミンマ・ノルブー 著    
佐 伯 和  起    訳

 

 シェルパ族の生活、祭り、そして宗教の風習       
   前 書
                    
 この度、ミンマ・ノルブー・シェルパ君が、サガールマタ国立公園の伝統文化の一端として、シェルパの歴史、文化、生活風習、宗教についての小冊子を発行した事は、私の大きな喜びとするところである。                              
 国立公園内においては、その動植物の保護や、高山の生態系の保護に加えて、そこに息づく伝統文化の保護が前者と等しく重要である。                    
 私は、著者の公園監督官としての知識、又彼自身のクンブーの人々の文化への深い造詣が、ここを訪れる人々の、シェルパ文化への認識と学習の良き助けとなる事を確信する。  

 B.N.Upreti  
(ビー・エヌ・アプレティ) 
ネパール王国政府   
国立公園保護管理部長



 サガールマタ 国立公園 
   序 章

サガールマタ国立公園は、カトマンズの北東、ネパール・クンブー地方の、1243 に渉るエリアである。
この国立公園へ至る最も一般的な途は二つあり、一つは飛行機によりルクラへ至るという方法であり、他の一つはカトマンズから徒歩で2日を掛けて、あるいはバスでラムサングンに至り、そこから更に2週間のトレッキングを経て国立公園に至ると云う方法である。   
この国立公園には、世界最高峰のサガールマタ(エベレスト)や、いくつかの良く知られた、ローツエ、ヌプツエ、チョーオユ、プモリ、アマダブラム、タムセルク、クワンデ、カンティガ、ギャチュンカン等の山々が在る。          
サガールマタ国立公園は又、その境界線の中に横たわる標高の高い山々と共に、その先住民シェルパ族でも、世界に有名になった。
国立公園の指定は(1976年指定)ユニークな文化や、物理的、科学的に貴重なものを、健全な保護政策の許で積極的な運営を通し、守っていくことを意図している。
この小冊子が公園を訪れる人々にあまりり顧みられないシェルパ族の豊かな宗教的、文化的な伝統への案内書となれば幸いである。 


 シェルパ族の人々

 サガルマタ国立公園のシェルパ族(シェルパとは東の人の意味)は、チベットの東のサルモ・ゴンと呼ばれる地方から移住した人々である。彼らは政治的圧迫を逃れ彼らの元来の故郷を後にし、ナンパ・ラ峠(標高5716m)を越えてネパールに入って来たと考えられる。 
 1400人足らずのこれらの人々は、現在の彼らの故郷である、無人の、人里離れたそして近付き難い、この地に住み着いた。
そして今日、此処には自分たちが二つの最初の由緒ある移民家系の末裔であると信じた、3000人のシェルパ族が暮らしている。又、継続する移住により、その由緒正しい二つの家系の分家と信じられている十二の家系の他に更に十六を越える新しい家系が存在する。 
 家系はシェルパ社会において、主にシェルパ族の結婚や祭りにおいて歴史的な重要性を持つ。
 シェルパ族の習わしで、同じ家系を名乗る内部者同志にあっては、父方の系統については三世代を越えない者、母方の系統についてはいとこまで、その結婚は認められていない。 
 又、それぞれの家系毎に、毎年一度祝いごとを行い、その家系の神々と、夏の家畜を育む牧草、耕作するその家系の根拠地たる大地に捧げものをするという事が習慣となっている。
 シェルパ族は放牧民であった。ジャガ芋がこの地に導入されるまでは、彼らの生活は季節の野性の野菜と、ヤク(牛によく似た大きな家畜で、肉、ミルク、毛糸等の恵みをもたらす。)により支えられていた。                            
 彼らはすぐにジャガ芋を貯蔵する技術、人や動物の力や要らない落葉等により大地を肥沃にし、蕎や大麦をそだてる技術を身につけた。                    
 この技術の定着により、相対的に繁栄したシェルパ社会は外部からの干渉も無く、彼ら自身の独特な気質を創っている。                           


 家族構成                                    

文化的、経済的両面から見たシェルパ族の基本的家族構成は、常に両親と未婚の子供たちからなる核家族である。新たな核家族の構成は、複雑な3回の結婚式、ソダン(相談)デム・チャン(婚約)ゼンジ(結婚披露)を含む過程を経て、それぞれ個々に為される。家族の土地は、男の相続人達に、又宝石、家具、衣類のような家財は、家内中の女の相続人達に、それぞれの結婚の時に平等に分配される。そして家族の末息子は、その家族の家を相続し、彼の両親の晩年を扶養する義務を負う。


 宗教                                       

シェルパ族は、それ自身マハヤナ伝説から発生した、チベット仏教のニィン・マパ派に属する。グル・リンポチェ(パドマ・サムブというインドのヨガ修業者)がこの派の聖なる始祖であるとみなされる。
 湖の真ん中の蓮の伝説が産まれそれはグル・リンポチェの伝説であり、グル・リンポチェが宝石のような蓮に祝福の言葉をかけると、経文やマニウォールの碑文が“オン・マニ・ペド・メ・フン”と書かれたと言うものである。           
 宗教書はグル・リンポチェは非常に力を持った魔術師で、彼はその神秘的な力を通して他の魔法使いや悪魔を征服することが出来たと詳説する。
 それは、これらが、絵画や、ゴンパ(寺院)の飾り付けの表現により、マハヤナ学派の基本信仰であることを物語る。      
 最も重要な神は、文字のごとく、クンブーの神クンブー・ユーラと、チョモロンモ(地球の母なる神)他の呼び方では、ネパール語でサガールマタ、西洋ではエベレスト山と呼ばれ知られている、それらである。その外の山の神々はプモリ(娘の山)を含む守護神と、その他の下僕神のカンティガやタムセルクのような山々である。その他の重要な土着霊は、各地の水に住むルゥとして知られる土着霊、大きな玉石に住むドゥとして知られる土着霊などがある。 更に加うるに、各家系ごとにそれぞれ、彼ら自身の家系の根源に関わる特別な山に住む独自の氏神を持つ。そして又、同じ場所には、食物を捧げ、お経を唱え、祈りを捧げていさえすれば慈悲深い、人々の日常の出来事を司る土地神達も存在する。                  
 シェルパ族の生活は、仏教の概念が織り混ぜられている。寺院は文化活動の中心であり、農業や牧畜に関わる主な行事や宗教信仰の強化や公共の儀礼が行なわれ、それらにの風習により寺院も経済的に維持される。   
 その公共の村の寺院では、男女の結婚や時折々の儀式が取り行なわれる。そこは又、村の人々の集会場でもある。            
 ゴンパ(宗派の独立した寺)は一階もしくは二階建ての礼拝堂と前庭から成っている。公共の村の寺院と、独立した宗派のゴンパの主な違いは、後者が高名なラマの生まれ変わりと信じられているラマ専用の、シャーサン・ラングと呼ばれる祈祷室を持っていることである。


 季節
                                      
 国立公園への訪問者は、時として、年中いたる時に行なわれているシェルパの家族による儀式に出くわす。これらは、結婚式、葬式、子供の命名式、悪魔払い、ソナム(福)を呼び込む儀式や、その他のそれぞれの土着神の名において行なわれる様々な儀式である。


 ローザー(正月)                                

 正月は通常、一月の終わり、もしくは二月の初めに祝われる。一年のこの時期は大地は凍てつき、時として雪も積もっている。
 この時期の主な仕事は、糸紡ぎ、はた織り、家畜の飼育、そして修繕などである。この正月の祝いには、家族そろってそれぞれの家系の氏神さまをお参りし、家の汚れを払い、ツァンパ(穀物の粉)を用いて家のはめ板に、来る年に幸多かれとの願いを込めた飾りをする。子供たちは新しい服を着て新年を祝い、祝宴は続く。祝宴は、それに参列する家族の数により、一週間にもわたる事もある。                      


 チリム
                                     
 村の儀式として知られるチリムは、村のゴンパで一年に二度、四月の農業開始で土地を準備する時と、九月の、作物を収穫し家畜は夏の放牧地から村へ戻りした時に取り行なわれる。この儀式の主目的は、社会に悪を為す悪霊を払う事である。
 れはその土地のラマ僧が祭司を司り、神々と悪霊共通のトルマ(練り粉で作った人型)を作る。これらのトルマの材料は、土地の子供たちが、ホ、ホ、ホと大声で叫びながら村中を廻り、各家々から少しづつ集められる。このチリムの儀式は全ての家の持ち回りで、決められた二家族により準備される。                        

 オ・ショー
                                   
 オ・ショーは、人々の行列が村中を取り囲んで祝われる。行列の間には四つの、村の四隅を守護するトルマが据えられる。
 この儀式は、村の土地への神々の守護を願い農業の開始シーズンに行なう。それは新しく種を蒔く作物へ超自然的な加護を与えよとの願いが込められた儀式である。
        
 ドムジェ
                                    
 ドムジェはシェルパ社会の中においては、非常に重要な意義を持つ。それは300年以上も続いている風習である。その土地のドムジェの当番は、5日間にわたり、村中の人々に食物や飲み物を振舞う。                                
 このドムジェ当番の義務は、それぞれの村の家の数により何年かに一度全ての家庭にくまなく当ってくる。この儀式の間は、貧富も共に平等にこれを取り行なう。タンボチェ・ゴンパから僧侶が招かれ、経を朗唱し、儀式を行なう。                 
 ドムジェの儀式は二つの意味を持つ。それは、数多の神々の力で村の魔敵を抑え込む様に頼む事と、守護聖人ラマ・サンガ・ドルジェの命日の法要を取り行なうという事である。 

 マニ・リムドゥ(マニ・リルドゥ)
                        
 最初のマニ・リムドゥはタンボチェ寺院において1930年頃から行なわれたと考えられる。そのマニ・リムドゥの起源はチベットのロンブク寺院である。           
 マニ・リムドゥは僧侶たちが神々を表すマスクをかぶり、儀礼の舞を舞う祈りの儀式である。多くの村々から信者が見物に訪れ、ヘッドラマの祝福によるソナム(福)を得ようとし、僧侶たち自分たちの作ったにとうもろこしや穀物を捧げる。             
 マニ・リムドウは普通その年の11月に開催され、3日間に渡り続く。このマニ・リムドゥの終わりは村仕事の終わり、つまり収穫の休止、収穫の終了に一致する。
又、ターメー寺院のマニ・リムは、五月、調度モンスーンの中断する直前に行なわれる。 マニ・リムドゥはクンブー中の村から人々を集める唯一の大きな伝統文化行事である。 

 ニウンネ
  
 ニウンネとして知られる祭事は、五月の終わりもしくは、六月の初めに村のゴンパで行なわれる。この祭事の主目的は礼拝者の罪汚れを払い、神々の守護を賜わり、より大きなソナム(福)を手に入れる事である。
通常は年配の信心深い人々が参拝する。この儀式はラマが祭司を司る事となっている。
 初日は参拝者がラマと共に経文を唱え、二日目は全ての参会者が断食し、彼らは誰とも喋らず無言の業を行ない、三日目は、ラマから祝福を得た後、各自それぞれの家へ帰る。 


  宗教上の建造物(建築様式)                        

 マニ(マニツンキュア)
                             
 大きなマニ車で、多くの教典が中に入っており、祈願する者の神聖な神への祈りの意味を持つ。                   
平均的に、高さ2m、直径1.5mの大きさである。(マニツンキュアとして知られる) いくつかの村は、公共の建物と、マニラングと して知られるマニツンキュアを区別している。それはゴンパの物、あるいは個人の家の中の物として区別である。マニツンキュアを時計回り方向に回すと徳を得る事が出来る。            
 
 ラング
                                      
 ラングは、家に隣接した個人的礼拝堂である。神への接近は家から達成される。家の壁には壁画が描かれ、彫像や教典で飾られる。                 
   
 ツァム・カン
 
 ツァム・カンとは、通常は集落から遠く離れた丘の横や岩の下の頗る簡単な住居である。
これらの住居は隠者の瞑想を目的とする。

 カニ
 
 村や公共の僧院の入り口には、たいてい天井や壁  面に宗教画が描かれた、カニと呼ばれる通用門がある。これらの入り口の門あるいはチョルテンは、悪霊が人々に着いて村へ入り込むのを阻止している。

 チョルテン(ストゥーパ)

 チョルテンと呼ばれる仏舎利塔は、通常石で作ら  れ、その四方は目が描かれ、悪霊か村に入り込まない様に守っている。
その中には高僧の遺骨や教典が入って居る。これらは普通、村の入り口にマニウォールかカニと一緒に建っている。

 マニウォール

 これらは、神聖な祈りの言葉“オン・マニ・ペド・メ・フン”と刻まれた石で、壁として或いはチョルテンの回りに積み重ねられるかしている。人々は、左から右の方向にこれを巡り、ソナムを得ようとする。

 マニ・ウォール"はシェルパ族の村のありふれた特徴である。神聖な祈りの言葉「オン・マニ・ペド・メ・フン」が、石板に刻まれている。        

 ゴンパ(僧院)

 ゴンパは通常、村の公共財産としての物と宗派の物に大別される。
主な宗派のゴンパはターメー、タンボチェ、ツブテン・チョリンに在る。  
これら宗派のゴンパは普通、生まれ代わりと信じられているラマに預けられ、運営されている。


 シェルパ文化豆知識                               

 マニウォールを通りすぎる時は、左側を通る。この習慣の実行は、あなたが仏教徒の伝統を尊重していると言う事を意味する。汚い物を泉に捨ててはいけない。そんなことをすると水神ルーが怒ると信じられいるからである。                                  
 シェルパ族の炉の火に、汚れたもの、肉などの食べ残しを放りこんではいけない そのような不潔な不快な匂いを山の神が怒ると信じられている。               
 寺や僧院を訪れた時はいつも、少しの喜捨をすること。これは伝統的な特有の尊敬の表し方である。                                
 人々の写真を取るとき、又人々の入る広範囲な写真を取るときは、礼儀正しくちょっとした贈り物をして許可を得ること。                          
 シェルパに、食肉用の動物を殺すことを頼んではならない。そんな事をしなくても肉は容易に手に入る。これは、クンブー社会のきまりと仏教上の戒律の両面から禁止されている。
 カタ(白いスカーフ)は、感謝の意の表明、歓迎の気持ちを表す時、別れの挨拶時などに用いる。それは伝統的な風習で、男の人には右手から、女の人には左手から、首の回りに掛けてやる。しかしラマ僧の首に掛けるのはいけない、ただラマ僧の手の上に捧げる。   
 物乞いをする子供たちに物を遣ってはいけない。しかし、僧もしくは尼僧が喜捨求めて来た場合は可能なかぎり気前良く物を与える事は宗教上、伝統的に尊敬される事となっている。
 伝統的なシェルパの家に在っては、炉の傍の席はその生死に関わらずその家の主の席である。それ故そこに座る事は不作法な事とされる。        
 微笑み返す事を忘れずに、そしてシェルパ語の有難う、トーチェトーチェを覚えていると良い。


 良く使われるシェルパ語、ネパール語                        
 
    日本語    シェルパ語   ネパール語   

      ありがとう    トゥ・チェ    ダンネバー 
   こんにちは   タシ・デレ    ナマステ                                                                       
   来る、行く    フェプ     パルヌ、ホス               
    食べる      シェイ     カナ・ホス                
    飲む      シェイ     プヌ・ホス                 
    小道       ラム       バト                    
     水        チュ       パニ                    
     峰        カン・リ     ヒマール                  
     村        ユル      ガウン                   
     湖         チョー      ポカリ 

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